お盆は中能登町に帰る

 「こんなお盆は生まれて初めて」と母が何度も口にした。例年、親族が集まりにぎやかなお盆なのだが、今年は母と私の二人だけ。妻は広島県の実家へ。長女一家は長期石垣島バカンスへ。次女は東京で仕事に追われ帰省もできず。弟は村祭りの係で大忙し。てな理由で寂しいお盆となりました。おまけにずーっと雨が降り続き、盆踊りも中止に。
 私にできることは、母と私の料理を作ることくらい。14日晩御飯「牛肉バター炒め」。15日朝食「味噌汁・目玉焼き」、昼食「冷麺」、夕食は平和堂の総菜(お好み焼き・鮭フライなど)。16日朝食「アスパラ炒飯」、昼は親戚でサザエの壺焼き、夕食「すき焼」。17日朝食「たまごサンド・トマトサンド」。
 母親はこの頃、同じことを何度も繰り返し口にするようになりとても心配だ。いつもおいしいものを作ってくれるのだが、もうそんな気力も体力も無くなってきている。亡き父が「さびしくとも犬猫など飼ってはいけない」「けっして自殺してはいけない」などいくつかの言葉を母に残し、それらの言葉は母の生きる指針となっているようだ(死せるタカシ、生けるクニコを動かす)。
 木金土とテレビだけ眺めて二人で過ごした。定年後こうした生活も選択肢の一つなのかと気落ちした気分でいたら、土曜日の夜、弟夫婦が寿司を持って飲みにやってきた。陰気だった母と私はみるみる陽気になり、楽しい一夜を過ごした。わが親子は、本質は楽天家でけっこう軽薄なのだ。心配した認知症の兆候も全く感じられない(人と接することがいかに大切か再認識)。
 藤子不二雄A「愛知りそめし頃(9)」、小室隆之「さよなら、スイケンさん。」読む(パチスロ小説の佳品)。
 次女より電話。「まんが道」「愛知りそめし頃」宅急便で送ってほしいとのこと。3331で藤子Aで企画したいとのことだった。この企画が実現できれば、辛く多忙な仕事を続けた意味もあると思う。