教科書採択にムカッ

 教科書は各教科の教員が毎年どの教科書を使用するかを決定している。大変めんどくさい。昔はシラバスなんてどうでもよかったからたまには変わった教科書を使ってみますかと1年限りで国書刊行会の縦書き教科書を使用したりしたこともある。要は自由だった。しかし、シラバスどおりに教えなさいとなり、今年は、実教の教科書を採択するなとの圧力がかかってきている。おかしい。何がおかしい、都教委と神奈川県教委と石川県教委の頭がおかしい。文字通り頭(トップ)がおかしい。教科書なんてどれを使おうと大した問題ではない。別に教科書を教えるわけではないからだ。多忙の中、採択理由など作文するのも苦痛なのだ。しかし、この教科書はかく由理由で使用を見送れとの通達は納得できない。どうでもいいことだが、どうでもいいことまで規制することが許しがたいのだ。私がどうでもいいと思っているのにどうでもいいと思っていない人がいて、それはそれでどうでもいいことなのだが、その人が権力者でどうでもいい人生を一生懸命生きている人(私)にまで規制をかけてくることがとても嫌だ。どうでもいいことをほっておく度量がない権力者に明日はない。教育委員会に明日はないっす。教育ってどこまで許す度量があるかでしょう。ゆとりがないとがみがみ怒ってばかりでは子供でもいうこと聞いてくれまへん。私の尊敬する先輩教師はホームルームも授業も生徒が好きかって騒ぎまくり、ちっとは怒ったらいいのにといつも思うような先輩だった。でも、いつでも生徒を制御できるとのゆとりが先輩にはあり、自分が許せる限界まではお前らを自由にさせたるわてなもんでした。教委に求めることは自由な教育を推進する度量です。すなわち何もせんときということ。