悲しみは駆け足で去って行く

 節分が過ぎ立春恵方巻もすっかり定着し、今年はサークルKで購入し弁当にした。年が明けると時の動きは急だ。北海道旅行もPTA会報もテストも病院通いも、あっという間に過去へと過ぎ去ってゆく。
 土曜日はは芹川へ、好天で宝達山がくっきりだ。

道の駅「織姫の里」でM末氏に会う。お互い少し見つめ合った後相手を思い出し「珍しい人に会いました、遊びに来ました。」と声をかけられる。私はかける言葉もなくただ目礼して去った。彼は神出内留やヒューマンセンターや県教委で世話になった上司。自分の社交性のなさを再認。

免田にて

 母は元気だったが冷蔵庫が限界状態となっていた。冷凍庫内の肉やコロッケが解凍状態となっていた。すべて処分したが、いつまで使用できるか不明だ。先週かほくの「どんたく」朝市で購入した「伊予柑」半箱(なんと千円とバカ安)はもう空っぽになっていた。美味しかったので皆に分けたとのこと。こんなことならもう一箱購入すれば良かった。

 妻の誕生日プレゼントに娘が清水の舞台から飛び降りた。奥飛騨温泉旅行を大奮発、感涙にむせぶ妻だった。

 O滝くんから宅配便届く、六角バンドCDや本。こうした本を読んでいる人間ってどんな人?しかし持つべきものは友とはよー言ったものだ。

私は結構読書家だが今まで二回人から本を譲り受けたことがある。最初は大学時代、共に留年したK沢くんがもう卒業無理なので退学すると言って大量の文庫本をくれた。このK沢文庫は自分が読まないであろう分野の本が多く私の読書世界を広げてくれた。次は結婚してI津東マンションで暮らしだした時だ。二軒隣の部屋のS部さんが読書家で自分が読んだ本をすべて私にくれた。これも読書のスタンス拡大になった。そして今回のO滝くんだ。わしの本も誰か貰ってくれないだろうか。

 ラジオから懐かしい曲が流れてくる、誰の曲か思い出せない、「メラニーの○○でした」のナレーションでようやく思い出す。しかしながら「メラニー」という名前を聴くのは数十年ぶりだ。もういろんなことが記憶から消え去りつつある。うーん、ボケつつあるなあ。ま、黒川博行を読んでいる俺としてはオレオレ詐欺や後妻業には引っかからんとこうっと。

 「繚乱」☆☆堀内やさぐれ度増す、伊達冴える暴力、二人の将来真っ暗闇。再々登場期待しています。

「悲しみは駆け足でやってくる」が正しいのだが、わが現状はこうしたことを間違えるほどの軽いボケ具合です。