(懐かしいなあ)70年代のうた

 図書館で借りた「昭和フォーク&ロック音楽堂」は素晴らしい本だった。若い頃の自分が、夢中で聞いていたアルバムがほぼ完ぺきに網羅されている。風船や都会の村人、渡、はっぴいえんどなどなど。アルバムジャケットと曲目と解説でシンプルな構成。中村ようの労作です。今はネットでダッチャの26号線からカルメン・マキまですぐ聞けるって、昔とは隔世の感ありですね。

 本に触発されて、難波の「ディラン」や今出川の「ほんやら洞」、天王寺の「マントヒヒ」が懐かしく思い出された。ディランはやたらと壁とかカウンターに英字新聞が張り付けてあったことだけ覚えている。近くで米軍払下げの服を良く買った記憶がある。ズボンが800円とバカ安だった。懐かしかあ。ほんやら洞柳家つばめの「落語論」が置いてあって読んだ記憶だけ鮮明だ。懐かしかあ。天王寺はジャズ喫茶「トップ・シンバル」「四分休符」と阿倍野銀座の「マントヒヒ」だ。難波のロック喫茶「SUB」(たしか螺旋階段をのぼった二階だった)。この二つのロック喫茶で高校の同級生だったO君がバイトしていた。N君もバイトしていたっけ、焼うどん作ってたのはどっちだったかわからんようになった。酒はサントリーホワイトだったのはたしかだ。難波の「ブルーリバー」閉店の日に、金森幸介が花束を持って入ってきたことは昔書いたような気もする。これもわからんようになってきた。それにしても昔はよく喫茶店に行っとったんだな。O君は「大阪青春街図」で行った喫茶店をチェックしとったなあ。懐かしいなあ。O瀧クンとモーニングを食べにいっていた南田辺の「マロン」(鶴ガ丘だっけ)は、まさに昭和って言う感じだったね。懐かしいなあ。